伊勢佐木町地区。この建物はチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドが設計した震災復興期の作品で昭和12年に竣工している。
天神人妻求人・天神人妻バイト建物は鉄筋コンクリート地下1階地上5階建て、商業施設としては、レーモンド唯一の作品で、前面をガラスブロックで覆った表現はシンプルで、戦前の建築とは思えないほど現代的なデザインである。前面のガラスブロックが、外から見る人にも店の明るさを感じさせる。
設計者のレーモンドは旧帝国ホテル設計監理のため、F・L・ライトと共に来日。その後も日本に留まって聖アンセルモ教会や東京女子大学礼拝堂及び講堂などモダニズム建築の作品を多く残した。また、前川國男、吉村順三などがレーモンド事務所で学ぶなど日本人建築家に大きな影響を与えた。
不二家は、明治43年11月に、創業者である藤井林右衛門が、元町2丁目86番地に、洋菓子店を開業したことに始まる。店名は「二つとない」という意味に由来する。元町店はシュークリーム・エクレアを販売して繁盛した。
天神エステ求人・天神エステバイト大正11年1月に最初の支店として伊勢佐木町店を開店し、翌年8月に銀座6丁目店を開店したが、9月1日に起こった関東大震災により各店は焼失した。
店はバラック建てで再開し、伊勢佐木町店は、昭和12年2月「不二家洋菓子」の看板を掲げて、地下ビアホール、1階洋菓子売店と喫茶室、2階西洋料理、3階中華料理、4階大宴会場、5階高級喫茶“スターサロン”の構成で、リニューアルした。1階ホールからのらせん階段の配置・壁面には飾りフレームのついた鏡、その両側には豪華なキャンドル型の照明などデザイン・インテリアに工夫がみられた。
新築開店を前に、横浜の各界にあてて郵送された挨拶状の文面には
御挨拶
浜に生まれた皆様の不二家は、幾歳月の皆様の御引立と御哺(はぐく)みによりましてこの戦捷の春、なごやかな光と共に、近代的感覚ゆたかな建築美を誇りつつ皆様の御期待に副ふ「質と味が物云ふ店」不二家の、その成長ぶりを御喜び願ふことになりました。
永い間の御不便と御迷惑をお掛け致しました事を、更めてお詫び申し上げ、「ハマ」の名物不二家が味覚報国への邁進(まいしん)ぶりに、
天神アロマエステ求人・天神アロマエステバイト一層の御鞭撻(べんたつ)と御愛顧を垂れ給ふ樣、幾重にも御願ひ申し上げる次第で御座います。
昭和12年2月吉日
横浜市中区伊勢佐木町通り
不二家洋菓子舗
味の不二家
と記され、新築され界隈でもひときわ目立つ店舗への期待が込められている。
コーヒー15銭、パフェー40銭、アイスクリーム(三色アイス、バニラ、抹茶など数種類)20〜25銭、コカコーラ20銭、アイスクリームサンデー30銭などが伊勢佐木町店開店当時のメニューに並んだ。戦前にこれだけバラエティーに富んだ品揃えと、戦後アメリカ兵とともに入ってきたとされるコカコーラが、メニューに入っていたことに注目したい。
戦後は、昭和21年占領軍に接収され、「YOKOHAMA CLUB」の名称で、士官用クラブに使用された。昭和33年12月接収が解除され、営業を再開した。2階にはピアノが置かれ、生演奏をしていた。店の前には、昭和25年に誕生したペコちゃん(年齢6歳・身長1m・体重15kg・B58cm・W55cm・H63cm ボーイフレンドはポコちゃん)の大きな人形が置かれていた。昭和26年につくられた「ミルキー MILKY」は大ヒット商品になった。
(伊勢佐木町について)
明治後期には、すでに東京の浅草・大阪の千日前に劣らない都市の盛り場として繁盛していた地区である。町の由来は明治7年に、中村次郎衛(伊勢屋)・佐川儀衛門・佐々木新五郎の名をとってつけられた。中村次郎衛の屋号「伊勢」佐川儀衛門の「佐」佐々木新五郎の「木」をもって「伊勢佐木」とした。
天神ラウンジ求人・天神ラウンジバイト命名半年後に、3人は神奈川県に道路修造として、三千円を献金した。当時の行政機関は神奈川県であり、横浜市の誕生は明治22年である。
(参考・引用資料)
@株式会社不二家 『創業80年記念誌 FUJIYA BOOK』 1990年
A高村直助 『一つ目沼地埋立てと伊勢佐木町の誕生』
「横浜市歴史博物館紀要 11」 2007年
B藤井誠司 『不二家・五十年の歩み』 昭和34年
C横浜市 『都市の記憶 −横浜の近代建築T− 平成10年
posted by mori028 at 10:00|
Comment(0)
|
喫茶店
|

|